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カニ歩き映画ブログ

谷越カニが見た映画について書いてます

拳闘試合の日(Day Of The Fight - 1951)キューブリックのデビュー作は10分ちょっとのドキュメンタリー

スタンリー・キューブリック

偉大な映画監督であるキューブリックの監督デビュー作はドキュメンタリー映画だった。

当時のキューブリックは23歳。写真誌「ルック」のカメラマンをしており、題材となったボクサーとは雑誌の取材で出会った。スタッフの多くを知り合いで固め、予算の不足分を父親から借りるなど、近場の人材で作った映画といった感じだ。

 

内容はあるボクサーの試合が行われる一日を朝から密着する、というもの。当時のスポーツものドキュメンタリーは試合をロングショットで撮影するものがメインで、監督の色はほとんど出ないものだった。しかし、本作は試合がメインではないという点がポイントだろう。

 

瓜二つの兄は彼のマネージャー。同じベッドで寝てるらしい。まあ、おそらく演出だろう。朝起きてまずミサに行き、朝食を食べ、愛犬と戯れる…

この時の戯れ方がなんとも言えない味わい深さで、ボクサーが犬の耳をめくって裏の臭いを臭いを嗅いでいるのである。臭いのか?癖になる臭がするのか?真相はわからないが、親近感っぽい何かが心の底にフッと湧いてくる。ボクサーも庶民なのだ。犬の耳を嗅いでニコニコしてる人は少ないと思うけど。書いていて、金持ちは犬の耳の裏を嗅いだりしないのか?という疑問が湧いてきた。みんな嗅いでいてほしい。

試合に向けて集中力を高めていくボクサー。音楽も雰囲気を盛り上げる。バンテージを巻いた右手のクローズアップや兄弟で目をつぶって瞑想するシーンは印象的だ。

準備が整って入場。観客の顔のクローズアップとモンタージュは『突撃』のラストシーンを彷彿とさせる。

ゴングが鳴って試合が始まるとあっという間のKO劇。ついさっきまで愛犬の耳の裏の臭いを嗅いで喜んでいた男がヒーローになる瞬間だ。ボクサーが祝福を受けて映画はあっさりと終わる。

 

印象的なクローズアップはこの頃から得意としていたようだ。特に試合前と試合中の観客の顔のクローズアップは『激突』のそれである。また、結果よりも過程をじっくり、じっくりと描写するという作家性も最初から持ち合わせていたらしい。『現金に体を張れ』や『フルメタルジャケット』の前半パートの描き方の原点はこの映画にあると言ってもいいだろう。

ドキュメンタリー映画としても地味なので、キューブリックファン以外は見てもしょうがないと思う。しかし、犬の耳の裏の臭いを嗅いで喜ぶ人を見て喜ぶタイプの人は必見だ。

『フレンチ・コネクション1・2』最後の最後で期待にこたえるというやり方

1970s

同年公開の『ダーティーハリー』(1971)の影に隠れ、比較的語られる機械が少ないように感じる『フレンチ・コネクション』。ニューヨーク市警察本部薬物対策課の凄腕刑事ドイルと相棒ルソー(ロイ・シャイダー)がフランスの麻薬王シャルニエを追いかけるバディ・ムービーだ。

見どころはニューヨーク市街での尾行シーンと対地下鉄のカーチェイスである。

2つのシーンは共にゲリラ撮影されたことにより緊迫感がずば抜けている。特にカーチェイスは1つ間違えれば一般車を巻き込む大惨事を招きかねない命がけの撮影だったそうだ。観客はそのことを知らずに映画を観て、鑑賞後に本作のことを調べる中で事実を知って更に驚く。「えっ、『マッハ!!!!!!!!』のトニー・ジャーってCGもスタントも使ってないの!?」というような、アクション映画にありがちな「予想外のガチびっくり」である。

監督のウィリアム・フリードキンは元々テレビドキュメンタリーを制作していて、『真夜中のパーティー』(1970)で注目を浴びた。その手腕を評価され『フレンチ・コネクション』の監督に抜擢され、ドキュメンタリーの手法を用いて荒唐無稽な警官が主人公の映画を撮影することに挑戦した。その結果、尾行シーンとカーチェイスが生まれたのだ。手持ちカメラの多用、BGMを極力使わない等の演出が本作の魅力の源になった。本作は高く評価され、第44回アカデミー賞で作品賞、 監督賞、 主演男優賞ジーン・ハックマン)、 脚色賞、編集賞の5部門を受賞し、大ヒット作となった。

4年後に公開された続編『フレンチ・コネクション2』は舞台をフランス・マルセイユに移し、前作で取り逃がした麻薬王を今度こそとっ捕まえようという物語だ。主演のジーン・ハックマンは続投し、監督はフリードキンからジョン・フランケンハイマーに変わった。

フランケンハイマーもドキュメンタリックな映画製作を得意としていたが、『2』を『1』と異なるアプローチで取り組もうとした。麻薬の脅威に正面から向き合ったのだ。

『1』では麻薬はあくまでマクガフィンだった。敵は麻薬王じゃなくても、人身売買業者や武器密輸組織でもよかった。しかし、『2』は違う。どうしても麻薬王との対決でなければならなかった。なんとドイルがシャルニエに拉致され、シャブ漬けにされる拷問を受けるのだ。ドイルはシャブ欲しさに情報を漏らし、辛いシャブ抜きをしなければならなくなる。このシャブ抜きシーンの時間がとにかく長いのだ。捜査は進展することなく、ただひたすらドイルが禁断症状に苦しむ姿が描かれる。『1』ではただ仕事の一貫としてシャルニエを追いかけていたドイルが、『2』では完全な憎しみを抱きながらシャルニエを追いかける。麻薬をアクション映画の曖昧な動機付けとして用いるのではなく、重要な動機付けとして用い、その恐ろしさを観客に示す。それは同時に苦闘するドイルへの感情移入を催すことにも繋がる。

麻薬と正面から向き合う反面、『1』の魅力だった尾行シーンやカーチェイスが失われてしまった、というわけではない。終盤までの間、観客は「『2』と『1』は別物だ」と思わざるをえない。理由は単純で、尾行シーンとカーチェイスがないからである。それぞれを別物として受け入れ、『2』の面白さを堪能していると、クライマックスでシャルニエとドイルのチェイスが始まる。混雑したマルセイユ市街を二人が駆けまわる、『1』らしさを最後の最後に持ってきたのだ。シリーズは繋がっていた!手持ちカメラと走り回るドイルのPOVショットで緊迫感を煽り、爽快感のあるラストシーンで華々しく映画は終わる。

『ダーティーハリー』が『5』まで続いたのに対し、本シリーズはこの『2』で終わる。『ダーティーハリー』はハリー・キャラハンの物語だったのに対し、本シリーズはドイルとシャルニエの物語だったため、決着がついた以上続編はありえない。『1』と比べ『2』の興行収入が1/3程度になってしまったことも大きいだろう。無理なこじつけで続編を作ってさらに失敗を重ねるよりは遥かにマシだ。

大ヒット映画の続編が製作される時、『1』のファンは『2』に「『1』らしさ」を求めてしまうものだ。創造者である監督としては同じものを作りたくない。『1』のフォーマットをどこまで崩し、自分の色を出し、新たなスタイルを築き上げるかが勝負になる。『フレンチ・コネクション』シリーズはここがうまくいったようだ。

『DENKI GROOVE THE MOVIE?』2時間じゃ足りねえんだよ!

最新映画

立川シネマシティで10日まで上映されていた『DENKI GROOVE THE MOVIE? 石野卓球ピエール瀧』を見てきました。

あるミュージシャンを取り扱ったドキュメンタリー映画にはいろんなスタイルがあります。松江哲明監督の『ライブテープ』はシンガーソングライター前野健太吉祥寺駅周辺でのゲリラパフォーマンスに密着した1カット74分の力作でしたし、ポピュラーミュージックのバックコーラスの実態に迫る『バックコーラスの歌姫たち』のように取材に取材を重ねて作る映画もあれば、『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』のように元々映画化を狙っていなかった、ハプニングから生まれた映画もあります。

DENKI GROOVE THE MOVIE?』は電気グルーヴの結成直前から現在までの姿を元メンバー砂原良徳CMJK、良き友・良きライバルとして同時代の音楽シーンを作り上げたスチャダラパーコーネリアス、メディアの側から彼らを見続けている山崎洋一郎などのインタビューとライブ映像を組み合わせた映画です。私は電気のファン歴8年の若輩者ですから、インタビューには知らない情報もあれば既に知っている情報の裏側もあり、概ね満足しています。当事者の口から語られる電気の裏側はコミカルさとシリアスさが同居しており、90年代中盤から後半にかけての電気の不安定さがヒシヒシと伝わってきました。貴重な初期のライブ映像も見ることができ、じき発売される映画のDVDには作中に登場したライブ映像が特典映像としてついてくるとのこと。今からとても楽しみです。

しかし、たった2時間の映画です。今年で27年になるキャリアのすべてに迫ることは到底不可能。あれの話が聞きたい!この話が聞きたい!という不満もあります。一番不満なのは、電気の現在についてあまり語られないことです。現サポートメンバーのAgraph牛尾憲輔については一言も触れられず、電気の復活に大いに貢献したはずの元サポートメンバーKAGAMIはその死が軽く触れられた程度。アルバム『VOXXX』の製作に携わったKAGAMI、DJ TASAKAの二人のうち、どうして「密林の猛虎打線」「浪曲インベダー」「エジソン電」といった「どうかしてる曲」の作曲者に名を連ねるDJ TASAKAが電気から離れ、クレジットに「フラッシュバックJ-popカウントダウン」のプログラマーとしてのみ名前を残すKAGAMIがサポートメンバーに抜擢されたのか。当時のインタビュー記事を読めばわかる情報なんだろうけど、国会図書館に行かないとバックナンバーは読めないし。実はここが私が最も知りたいことだったので、ちょっとがっかりしました。石野卓球ピエール瀧にインタビューをせず、周辺にいた人々にインタビューをするというスタイルを採用しているため、2010年に亡くなったKAGAMIから直接言質を取ることができないからなのでしょうが、それならKAGAMIの相棒だったDJ TASAKAから詳細を聞き出すこともできたのでは……卓球の失踪癖とか『ORANGE』前後の世間からのなめられっぷり(パロディバンド・宇宙犬の登場)とかイ・パクサとの交流とか復活以降の電気のビジュアル面に貢献している田中秀幸にインタビューしないんかいとか……いろんな不満をたらたらと述べたくなるほど本作の出来はいいのです。

電気のことを全く知らない人たちへの入門編としても、デビュー当時から電気を追いかけている年季の入ったファンたちの青春映画としても、私のような「モノノケダンス」以降のファンにとっても楽しめるポイントをしっかりと抑えています。『KARATEKA』までのアイドル的な人気の上昇から『VITAMIN』『DRAGON』での本格的テクノバンドへの変容、代表曲「N.O.」の電気周辺での立ち位置などをインタビューで振り返る前半パートは編集の心地よさとインタビューの内容の興味深さに引き込まれたし、『A』から『VOXXX』までの間の海外進出の裏側が砂原の口から語られるパートのスリリングさは『電気グルーヴのメロン牧場 花嫁は死神』では味わえない、本作のスタイルだからこそ、当事者・砂原の表情を読み取ることができる映画だからこそ醸し出されるものだったし。いいところもある分だけ欲も出てきてしまうのです。

惜しい部分を上げていけばキリがありません。モグラネグラとか伊集院光とか狂人ドラム大会とか人生の元メンバーとか世界のケン・ニシイとかね。でもこれらは映画とは関係ない部分なので仕方がない。『DENKI GROOVE THE MOVIE?』はあくまでテクノバンド電気グルーヴのミュージシャンの側面に迫ったものなのだから。そういう需要は「千歳空港大パニック」でなんとかして……そういえば90年代中番のソロワークにも触れていなかったな。AppleMusicに卓球と砂原のソロワークをまとめた『PARKING』があって驚いたばかりなのに。2も作れよ!2時間じゃ全然足りねえよ!伊集院がインタビューのオファーなくてがっかりしてたよ!

 

 

 

DENKI GROOVE THE MOVIE? -THE MUSIC SELECTION-

DENKI GROOVE THE MOVIE? -THE MUSIC SELECTION-

 

 

D・W・グリフィス『黄金のルイ The Golden Louis』1909年

D・W・グリフィス 初期映画

リリアン・ギッシュとの黄金コンビが生み出した悲劇の数々の原型とも言えるような映画。

 

冬の街角。乞食の少女は寒さと飢えでついに力尽き、死を目前にしていた。そこへ通りかかった男が彼女を憐れみ、彼女の靴に金貨を残していった。

相変わらず力なく横たわる少女の前を通りかかったのは、ギャンブルで負けて景気の悪い男。靴の中に光る金貨を見て手を伸ばすが、少女を憐れみ、手を付けなかった。

賭博場へ戻った男はなけなしの金で大勝し、喜び勇んで少女の元へ戻るが彼女の姿はなかった。街中を探しまわり、ようやく彼女を見つけた時、彼女は既に息絶えていた。男は嘆き悲しみ、持ち金を四方へばらまく。庶民たちが小金を拾い、満足そうに立ち去った後も男の悲しみは癒えることはなかったのだった。

 

『質屋の娘の恋』と同じような話だが、少女の年齢が小学校に入学するかどうかというくらいに設定されているのがキモ。リリアン・ギッシュのロリータ的な魅力と合致している。本作と同年に制作したコメディ映画のダメっぷりを見て、グリフィスは悲劇監督へのシフトチェンジを目指したのではないか。彼の華々しいキャリアの原点はおそらく本作だ。それは同時に大女優リリアン・ギッシュの原点でもある。グリフィス/ギッシュのファンは必見の映画だ。


The Golden Louis (1909) D.W. Griffith

D・W・グリフィス『淋しい別荘 The Lonely Villa』1909年

D・W・グリフィス 初期映画

グリフィスが新たな映画表現を模索した結果の産物。グリフィスが映画界に残した最大の功績であるクロスカッティングが登場する。

物語は主人の留守中に屋敷に強盗が入るという単純なもの。残された母子と主人の電話のやりとりと3人組の強盗の姿を交互に映すことで場面を盛り上げている。

冒頭に『國民の創生』の黒人襲撃シーンに似た構図のショットがあり、相変わらず『帰還』の物語であるという点がグリフィスの作家性を表しているといえるだろう。帰還の物語×クロスカッティング=「ワン・ミニッツ・レスキュー」の初お目見え作でもあるのだ。本作は後にセルフリメイクされるし、彼の原点の1つ数えていい映画だと思う。


D. W. Griffith: The Lonely Villa (1909)

D・W・グリフィス 『カーテンポール The Curtain Pole』1909年

D・W・グリフィス 初期映画

『迷惑帽子』に引き続いてのコメディ映画。正直言ってチャップリンの失敗作程度の魅力しかない。

あらすじはこうだ。屋敷のカーテンポールが真っ二つに割れる。男が街へカーテンポールを買いに行き、馬車に乗って帰る。立てて持てばなんでもないところを横に持っちゃうもんだからポールが柱に当たる屋台に引っかかる……大騒ぎになり、馬車は市民に追いかけられる。男が屋敷に戻る直前に別人がカーテンポールを買ってきていたので男は憤慨してポールにかじりつく。おしまい。

わかりやすく言えば、出来の悪いチャップリン映画にキートンの要素を加えたような感じ。面白くないわけではないし、グリフィス映画で初めてカメラが横に動く。ぎこちないパンだけど……。グリフィスにコメディ映画を撮る才能はなかったようだ。


"The Curtain Pole" (1909) director D.W. Griffith

D・W・グリフィス『迷惑帽子 Those Awful Hats』1909年

D・W・グリフィス 初期映画

1919年、グリフィスはチャップリンやダグラス・フェアバンクスらとユナイテッド・アーティスツ社を設立したが、その10年前、チャップリンが登場するよりも前にチャップリンの出来損ないみたいなコメディ映画を作っていた。

 

映画館で映画を観る紳士たち。上映されている映画のジャンルはいまいちよくわからない。次々に馬鹿でかい帽子をかぶった婦人がやってきては前方の席に座り、校報に座っている紳士は帽子が邪魔でスクリーンが見えない。婦人が大顰蹙を買うと頭上からどクレーンゲームのアームのようなものが出てきて帽子を掴んで脱がし、紳士たちは喝采を送る。それでもなお帽子を脱がない別の婦人がクレーンに体ごと掴まれて強制退場。紳士たちは映画そっちのけで歓声をあげたのだった。

序盤に後の物語とは全く無関係な男も劇場にやってきて、観客に話しかけたりよろめいて膝の上に座ったり、キーストン社時代のチャップリンを彷彿とさせるギャグを連発するのだが、これがいまいち面白くない。その後の婦人の帽子をめぐるてんやわんやもなんとも言えない感じで、クレーンが帽子を掴んで無理やり脱がすのはちょっとモンティ・パイソンっぽいかな、とは思う。

たった2分の映画だし、どういう経緯で作られたのか手元に資料がないので分からないが、よっぽどグリフィスが好きな人でもなければ見る必要はない。劇場を舞台にしたコメディなら『チャップリンの寄席見物』のほうが遥かに面白いから、こちらをおすすめする。


Those Awful Hats 1909