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カニ歩き映画ブログ

谷越カニが見た映画について書いてます

D・W・グリフィス『ドリーの冒険 The Adventures of Dollie』1908年

アメリカ映画の父DW・グリフィスのデビュー作にして初期映画の傑作。この映画は初期映画の範疇を超えた高レベルな映画だ。簡素な物語に設定と演出の妙でハラハラドキドキのサスペンスが成立している。デビュー作には作家の作家性がすべて詰まっていると言うが、本作はまさしく、と言った感じだ。

 

ピクニックにやってきた3人家族。娘はまだ4〜5歳くらい。母親と女の子が川辺で遊んでいるとジプシーの男がやってきて母親と口論になり、駆けてきた父親がジプシーを追っ払う。怒ったジプシーは娘を誘拐し樽の中へ入れてしまう。

逃げようとするジプシーのもとへ父親がやってきて馬車を調べるが、樽の中までは調べない。観客は樽の中に娘がいることを知っている。固定カメラという身動きがとれない撮影方法の中でどうにかしてサスペンスを盛り上げようという試みだろう。当時の水準で言えば相当良くできた演出のはずだ。

難を逃れたジプシーは馬車に乗って遠くへ逃げようとする。その途中で川を渡るのだが、石の上を渡る際の振動で樽が川に落ちてしまう。樽は川を流れていき、結構な落差の落ち込みに差し掛かり……破損することなくクリア。樽は家族が遊んでいた川辺へ流れてきて、釣り人に発見されてめでたし。

あらすじだけでもハラハラしてしまうのだが、サスペンスを盛り上げる演出がにくい。樽が川を流れる様子を下流から撮影することで樽が迎える危機を示唆するという、現代では何も珍しくない演出だが、中に娘が押し込まれた樽で、娘の樽の中での様子は映されないからそもそも娘がどのような状態なのかもわからない中で落ち込みへ流れていくのだからドキドキする。ヘタな監督なら樽の中でワーワーと悲鳴を上げたり泣いたりする娘の姿を撮影するだろう。あえて娘の様子を映さないことでサスペンスを増強しているのだ。まあ、当たり前だろという感じではあるが。

樽は家族が遊んでいた川辺に流れ着く。一度見たことがある場所が再び登場するので観客はハッピーエンドを予感する。蓮實重彦これをドリー効果と呼ぶらしい。元いた場所へラストシーンで戻ってくるのはグリフィス映画にはよく見られる設定だ。

一直線の物語に的確なモンタージュ、サスペンスを盛り上げる演出と迫力のあるロケ撮影によって本作は初期映画の傑作と呼ばれるに相応しい映画に仕上がった。グリフィスの初期の映画を観たいという人は本作を見ておけば十分だろう。これ以上の映画はない。

こんなに素晴らしい12分間の映画をYoutubeで観ることができるなんて、いい時代だ。


Adventures Of Dollie 1908

D・W・グリフィス『質屋の娘の恋 Romance of a Jewess』1908年

タイトルは『ユダヤ娘の恋』とも。現在は『質屋の娘の恋』と呼ぶらしい。ドキュメンタリー映画の元祖『極北の怪異』が『極北のナヌーク』に変えられたのと同じ経緯だろう。Jewessは少々軽蔑的に用いられる言葉らしいから。

 

この映画はグリフィスの作家性が出ているという点で『じゃじゃ馬馴らし』とは異なる。『ドリーの冒険』と同じ帰還の物語なのだ。帰還はグリフィス映画を読み解く重要なキーワードである。

質屋を営む一家の母親が死にゆく場面から映画は始まる。母は娘に形見のペンダントを渡して息絶える。その後娘は客の男性と恋に落ちるが、厳格な父は認めてくれない。結局二人は駆け落ちすることになった。女の子が生まれ、幸せを噛み締めながら暮らす二人だが、夫はハシゴから足を踏み外して転落死(怪我をするような高さには見えないのが初期映画のかわいらしいところだ)してしまい、娘も病に倒れる。女の子は娘からペンダントをもらい、質屋へやってきた。この質屋こそ娘の実家なのだ。父は女の子に渡されたペンダントを見てこの子が孫であることを悟り、娘の死期が近いことを孫から告げられ大急ぎで娘の元へ。再会した二人は抱き合って喜ぶが、娘はあえなく死んでしまう。

『じゃじゃ馬馴らし』はシェイクスピアの喜劇を映画化したもので、原作を知っている人に向けて作られた。この映画は『ドリーの冒険』と同じくオリジナルの物語だから、物語がわかりやすい。カメラは固定で、演出に光るものはないものの、悲劇的な物語の面白さと父親を演じる役者の演技力がこの映画を魅力的にしている。

映画技法を確立したグリフィスの原石時代の輝きを観ることが出来る映画だ。面白いけど、一般の映画ファンは見る必要はないと思う。キャリア初期のグリフィスの映画を観たいなら『ドリーの冒険』を観れば十分だ。


"Romance of a Jewess" (1908) director D. W. Griffith starring Florence Lawrence

D・W・グリフィス『じゃじゃ馬馴らし The Taming of the Shrew』1908年

著作権が切れた映画はYoutubeで観ることができるからありがたい。特に初期映画は上映時間が長くても20分程度だから中途半端に時間が空いてしまった時に観ることができる。

 

で、今日観たのはアメリカ映画の父D・W・グリフィスの『じゃじゃ馬ならし』。1908年公開、グリフィスにとって2作目の映画。

原作はシェイクスピアの喜劇だけど、この映画は大した映画ではない。デビュー作『ドリーの冒険』はロケ撮影にハラハラドキドキのサスペンスと見どころの多い映画だったが、この映画は普通の初期映画だ。しかもどういう物語なのかがよくわからない。

屋敷の中にリアクションの大きなヒゲ男とドレスを着た女性がいる。女性の名はカタリーナ・ミノーラ。じゃじゃ馬のように激しい気性の持ち主で、男を相手に暴力を振るいまくる。カタリーナにはビアンカという妹がいて、こちらはおとなしい性格で街の貴族から大変人気があった。誰もが彼女と婚約したがったが、彼女らの父はカタリーナが結婚するまでビアンカも結婚させないと言う。そこで2人の貴族が結託してカタリーナを結婚させ、ビアンカを自由にしてしまおうというのだ。

……という内容なのだけど、原作を知らない私が観てもさっぱりわからない。この当時の映画には「原作を知っている人が観る」という前提のもとで製作されたものが多いので、こういうことはよくあるのだ。

技法や演出に観るべきものはないと思う。グリフィスの大ファンなら観てもいいだろう。


Griffith - The Taming of the Shrew (1908)

Apple Musicで落語ざんまい

3日前に立川談春著『赤めだか』を読んでから落語ブームが来ている。年末のドラマ見ればよかった。

Youtubeで落語の動画を探すのもずいぶん久しぶりだ。立川談志の青年期の声はこんなだったのかと驚いたり、柳家喬太郎の死神は彼のキャラクターからは想像できないほど面白かったり。まあ、落語素人が挙げそうな名前でしょ。背伸びして談志なんて聴いたりする。

前に落語ブームが来てた時はまだApple Musicのサービスが始まる前だった。Podcastにあんまり落語がなくてがっかりしたもんだけど、ひょっとしたら落語もラインナップに入ってたりしないかなと思って検索してみたら出てくる出てくる。という程多くはないけど、十分な量の落語音源が聞けるようだ。

例えば、桂歌丸や五代目三遊亭圓楽といったお馴染みのメンツから春風亭一之輔や三遊亭兼好といった若手のホープとされているらしい落語家の音源もある。古今亭志ん生三遊亭円生柳家小さんといった伝説の名人のものまであった!

『赤めだか』の読了後なので立川流の落語を聞いてみたいと思ったのだが、立川談四楼が師匠談志を語る音源くらいしか出てこない。まあ、落語がApple Musicの人気コンテンツになることはなさそうだし、爆発的に音源が増えることもなさそうだから、期待するだけ無駄か。

面白そうな落語家の音源をひと通りマイミュージックに追加して「最近追加した項目」を眺めてみると、キノコホテルや土岐麻子といった女性アーティストの顔ジャケに続いていい顔のおっさんがズラーッと並ぶ不思議な光景だった。これを落語で例えるほど造詣が深いわけじゃないのが悔しい。

ミュージシャンのアルバムを映画化するということ

先日、Daft Punk松本零士がコラボした『インターステラ5555』という映画を観た。Daft Punkの大ヒットアルバム『Discovery』の楽曲を曲順通りに使い、松本零士印のSFを語ろうという映画。

ライブシーンの躍動感のなさは感動を覚えるほどだけど、楽曲の良さなのか目が慣れてきたのか次第に面白くなってく。脚本はダフパンの二人。物語はものすごくチープな『キングコング』の焼き直しだが、なぜか心が震える。酷いライブシーンで覚えたものとは別物のものだ。それだけ音楽に力があるという表現は陳腐だろうが、ともかくトランス状態になる。

ミュージシャンのアルバムを映画化するという試みは珍しいものではないのだろうと思って調べてみたら、The Whoの『トミー』、Pink Floydの『Pink Floyd The Wall』くらいしか出てこなかった。ビートルズザ・タイガースの映画はミュージシャンが主人公のフィクションだから除く。

 音楽で語るか、映像で語るか

2本のうち『Pink Floyd The Wall』を観て思ったことは、このような試みで肝心なのは音楽で語るのではなく音楽を使って物語を語ったほうが良いということだ。

インターステラ5555』は物語性のある映画だが、楽曲そのものに音楽性はない。インストの曲が多いし。だからダフパンの二人は必死こいて脚本を書かなくてはいけなかった。映画として成立させるために必要不可欠な努力だ。

しかし、Pink Floyd The Wall』の場合は事情が大きく異る。世界で最も売れた2枚組アルバムの『The Wall』の一部楽曲と未使用曲を使ったこの映画は、音楽に物語性がありすぎる。なにせコンセプトアルバムといえばPink Floydだし、その代表作『The Wall』なのだ。ロジャー・ウォーターズが感じた世間と自己の乖離を表現した、重く暗い内容のアルバムを映像化しようとなると、これはプロモーションビデオ化を避けられない。音楽と映像の両方にメッセージ性をもたせると双方がケンカして酷いノイズだらけの映画になるだろうし、楽曲の良さを活かそうとすれば映像に力がなくなる。監督のアラン・パーカーは前衛的な映像に楽曲を絡み合わせるで作品の世界観を表現しようとしたが、失敗に終わってしまった。「Another Brick In The Wall」が使われたパートは良く出来ている(オチョナンさんみたいなお面をかぶった中学生がたくさん出てきて合唱する)が、他は総じて退屈だ。プロモーションビデオの域を出ていない。本作のためにロジャー・ウォーターズが書き下ろした脚本はわずか30ページほどしかなかったそうだ。製作陣は楽曲が映像を補強してくれると信じて疑わなかったのだろう。

映画という媒体はメッセージ性の強い音楽との相性があまり良くないのかもしれない。ここぞ、という場面で使ってこそ効果が出る。全編にわたって楽曲がメッセージを訴えてくるPink Floyd The Wall』のような映画には、アラン・パーカーの「この映画にはユーモアが足りなかった」という言葉が重くのしかかる。

NETFILXで北朝鮮を取材したドキュメンタリー映画を見て混乱した

強豪相手のHuluとくらべてドキュメンタリー映画が豊富なNETFLIX。昨日はスペイン人映画監督による北朝鮮のドキュメンタリー映画「The Propaganda Game」を見ました。

www.youtube.com

監督はスペイン人のアルバロ・ロンゴリア。北朝鮮政府唯一の外国人職員であるアレハンドロ(こちらもスペイン人)に平壌を案内され、報道では見えてこない北朝鮮の実情を撮影していきます。

国際情勢には疎いので触れませんが、平壌はよく近代化されたハリボテだということはわかりました。北朝鮮の歴史を学べる博物館には一般人の姿がなく、信仰の自由を象徴するとされるキリスト教の教会の違和感に監督はこうコメントしています。

「合唱が揃いすぎている」

外国人向けの取材用施設としての教会なのでしょう。pixivで投稿者が「落書き」と主張する絵がやたら気合が入ってたりするのと同じことなのではないかと思います。

北朝鮮の人民は誰もが「北朝鮮は素晴らしい。私は幸せだ」と言っています。北朝鮮での取材映像の合間合間に脱北者や学者、ジャーナリストによる北朝鮮の実情を語るインタビューが挿入されるので、私は混乱してしまいました。どっちが正しいんだ?北朝鮮の教育によって彼らは洗脳されているということはわかるけど、ここまで徹底していると真実がどちらにあるのかがわからなくなってくるような感覚。北朝鮮の現実は我々の現実から乖離しすぎていて、うまく咀嚼できません。

監督は「北朝鮮に関する報道が本当に事実なのか」を確かめるために北朝鮮入りしています。彼が伝えたいことの本質は「メディアの信ぴょう性」でしょう。メディアを駆け巡る北朝鮮のバカバカしいニュースははたして本当なのか嘘なのか?ギャグとしか思えないような内容でも、「北朝鮮ならありえるな」と思えてしまう不思議な国。

外国の報道は間違っている、北朝鮮に来て実情を見てほしいと語る政府側の人間たちが滑稽に見える瞬間もありますが、なぜかジャーナリストたちが滑稽に見える瞬間もあるのです。どこまでが真実でどこまでが嘘なのか、この映画を見てもさっぱりわからない。北朝鮮の謎がほんの少しわかったけど、その分謎がもっと増えました。

北朝鮮は未知の国です。そこが魅力でもあります。世界の謎はあらかた解明されました。しかし北朝鮮は謎だらけです」

ウィル・スミスが「ら」扱いされてて悲しい

今年度のラジー賞についての記事を読んでいて、悲しくなったことがあります。

eiga.com

また、ラジー賞の常連ながら前年に素晴らしい仕事をした映画人を表彰する「名誉挽回賞(Razzie Redeemer Award)」には、「ヴィジット」で復活を果たしたM・ナイト・シャマラン監督や、「クリード チャンプを継ぐ男」のシルベスター・スタローンらが選出されている。

名誉挽回賞
エリザベス・バンクス
M・ナイト・シャマラン
ウィル・スミス
シルベスター・スタローン 

ウィル・スミスが「ら」扱いですよ。あんまり好きじゃないけど、「ら」扱いはかわいそう。

4人の中から2人選んで書くから微妙な感じがするわけで、シャマランも「ら」の中に入れてしまえば

「やっぱりスタローンは凄い」

で済むのに。YSS。スタローンの筋肉はいつになったら休暇をもらえるのやら。